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2012年 奨学生研修旅行レポート
「近江八幡水郷巡り・布引窯陶芸体験・彦根城散策の旅」

2012年10月31日

斉 暁媛さん
神戸大学大学院医学研究科
細胞生理学分野・生理学・
細胞生物学講座
出身国:中国
斉 暁媛さん

湖の国に、感動を満喫の旅

楽しみにしていた「西村奨学財団2012年研修旅行」が9月3日より、行なわれました。財団の皆様に出会い、琵琶湖畔の風景とともに、忘れがたい一泊2日の旅を楽しく過ごしました。

「近江八幡水郷めぐり」と「近江商家の町並み」のイメージ

今年の修学旅行先は、滋賀県の近江地方ですが、近江八幡は豊臣秀次によって築かれた城下町です。ヨシが群生する迷路のような水路での「水郷めぐり」は近江八幡観光の名物であり、以前から、屋形船で遊覧する水郷めぐりに好奇心をもっており、おいしい空気、素晴らしい両岸の風景を横目に、皆さんと一緒にお茶を味わいながら、ゆらゆらと風光明媚な水上景色を堪能しました。

日本に来てから、ずっと「スピード」や「効率」などの印象が強い国と思っていましたが、今回は、ゆるやかな時の流れに、身を任せて、小舟で水郷をのんびりと過せました。寂しさや疲れを癒す絶好のチャンスだけでなく、日本の豊かな自然に触れて、日本文化を深く理解する機会でもありました。

穏やかな気持ちで、道を歩きながら、八幡商人がどのような生活をしていたか、あきんどは日本の代表的なイメージだろうかと考えている間に、昼食をとる「あきんどの里」につきました。松花堂弁当をおいしくご馳走になりました。昔ながらの町に沿って、楽市楽座の自由商業の雰囲気を感じ、なんとなく、天秤棒を担ぐ近江商人の姿を、何度も頭の中に描いてきました。水郷は、それぞれに趣があり、確かに自然の営みや歴史の風習を体験することの出来る場所です。事前に財団で用意された詳しいパンフレットを何度も読んだり、調べたりして、財団の心配りを実感し、本当に、奨学生の一員になれたことを、西村奨学財団に心から感謝しております。

ふくろうの世界【布引焼き】

布引焼陶芸教室に着くと、フクロウのことをあまり知らない私は、すぐにフクロウの世界にとけこみました。芸術家・小嶋さんは陶器に魅せられ、それを現代風にアレンジすることで、美しい緑彩陶器の世界を創造された。色鮮やかな絵つけの技法で、特徴である緑彩陶作品を通じて、伝統と文化の深さを感じました。「フクロウは目をパッチリ開いた時、世の中をしっかりみつめ、目を閉じている時、自分の夢を育てている」というストーリーを聞きながら、私は工房でコップの作成に夢中になりました。フクロウは福が籠るといわれ縁起のよい鳥とされることもはじめて聞きましたし、自分で陶芸作品を作るのも初体験でしたので、興奮していました。今ははやく、自分がデザインしたコップと再会することをたのしみにしています。

湖の国【琵琶湖】

琵琶湖畔にある長浜ロイヤルホテルに着いたのは夕方でした。湖岸に出かけ、琵琶湖をみました。琵琶湖は日本最大の淡水湖で、面積は滋賀県の全体の1/6を占め、淡路島よりも大きい湖といわれています。昔からも「湖の国」と言う別称があるほどです。琵琶湖は幅広くて、北側から南に下がるに従って細くなっていく形状で、まさに楽器の琵琶の形によく似ているため、それが琵琶湖の名前の由来です。なお、現在の滋賀県はかつて近江の国と呼ばれていた。「近江」とは奈良の都に近い淡水の湖を意味する「近つ淡海(あわうみ)」が転化した地名だそうだ。日没、湖岸沿いを散歩して、遠くの山々と心地よいびわ湖を眺めながら、美しい自然と豊かな歴史・文化に感動しました。

夕暮れに、賑やかな会席料理・特別なカラオケ・快適な温泉露天岩風呂…盛り沢山のインベトに参加し、大変楽しめ、旅の疲れを癒せました。

国宝の一つ【彦根城】

以前、姫路城や大阪城、岡山城などへの見学経験があるから、日本の伝統的な建築に深く興味があります。観光ガイドのわかりやすい案内にしたがって、彦根城の約400年前からの雄姿を楽しみました。彦根は井伊家ゆかりの城下町ですが、彦根城は、三層白亜の天守閣をいただき二重の壕に囲まれた城郭です。初代藩主井伊直正から14代藩主井伊直憲までの260年間、一度の国替えや城攻めもなく、今もなお彦根の象徴としての姿を見せています。彦根城は姫路城、松本城、犬山城とともに、国宝四城の一つに数えられている。いくつもの屋根様式を巧みに組み合わせた美しい天守閣は国宝に指定され、先人の知恵のおかげで、江戸時代初期の名城を現代に伝えています。山、水、城、人間…長くの歳月をかけて完成した歴史的な観光地において、自然の物事の調和の大切さを一層より深く理解してきました。

光と影、人工と自然の合流【佐川美術館】

最後の見学地は佐川美術館です。バスを降りて、私はすぐにこのユニークな建築に目を引かれて感動しました。水面に浮かぶように、静かでかつ優雅な建物は、自然の美しさと調和しながら、魅力的な建築美を示し、創造主の魔法に驚かれました。館内には、日本画家の平山郁夫氏、彫刻家の佐藤忠良氏、陶芸家の樂吉左衞門氏の作品を中心に展示しています。毎年、佐川美術館にて、さまざまな文化事業を通じて、芸術・文化の振興と発展に貢献しているが、今回は陶芸家・樂吉左衞門先生襲名30周年作品展を開催しています。やわらかな光の中で、日本文化の源流に迫る芸術の世界を見せています。一番印象深いのは『平和の祈り』ですが、芸術作品を通じて人類の平和を実現するという思いが込められています。芸術家は日本と中国の文化交流を深めるため、心を打ち込んで励んでいることを感心しました。

忘れがたい旅

車窓の外に広がる景色を楽しみながら、ゆっくりと、二日間の近江の旅を五感を使って味わいました。この旅行がきっかけで、日本の方々や各国の奨学生と一緒になって、互いの文化、風習について、楽しく交流し、友情の絆を結び、信頼と友好の輪を広げました。世界平和を守るため、小さな力ではありますが、私も何か役立つことがないか考えていくつもりです。短い二日間でしたが、大いに感動した旅を満喫することができ、本当に忘れがたい思い出になりました。

李 昊晟 さん
大阪大学 理学研究科
博士課程 1年
出身国:中国
李 昊晟さん

旅行感想ー彦根城

午前の柔らかな日差しは空気中の軽塵を潤し、バスの窓ガラスを透けて、遠方に、ある古代の建物は近づいてきました。「あれは彦根城だ。日本の国宝と言われるお城って、一体どんな感じだろう・・・」と期待を膨らませました。

バスを降りて数分歩くと、「琵琶湖八景 月明 彦根の古城」という石碑が目に映りました。平日のため、ほかの観光客が少なくて、木の立ち並ぶ道をゆったりと抜けて、ようやく彦根城に到着しました。

表門から入って、天守に向かう坂を登っていきました。激しい坂道ではあったが、昔はこういうものを利用して敵の侵入を妨げたのでしょう。幅が狭いところや広いところがあって、段差も高いところや低いところがあります。そうすることで、敵のリズムが乱れ、足元に気を取られている間に攻撃できるではないでしょうか。昔の人は良く考えましたよね。

しばらく上がると掛け橋が見えます。この橋を中央として建てられているものは天秤櫓です。両端に左右対称に伸びていることから名づけられたようです。

そして、天守閣の前に立ちました。お城といったら大阪城しか行ったことないけど、それに比べたら目の前の彦根城は思っていたより小さいなというのが正直な感想です。いざ天守の中に入りました。大阪城の内部はすでに資料館になっていたが、ここは昔のまま残されています。通路は狭くて、床はつるつるですべりやすいです。何より、一番深い印象は険しい階段でした。とても急でほとんど90度に近かったような階段を慎重に上り下りしました。昔の人たちはいったいどのように歩きもにくいこの城を走っていたのでしょうか。

一番てっぺんまで登ってみると、そこからは琵琶湖が一望できるようになっていました。琵琶湖はとてもきれいで、静かでした。何百年ほどタイムスリップした感じも、人生に対する非常に落ち着いている心もこの湖面に映っているようでした。お城は外から見るものと思っていたが,この城で一番良かったと思ったのはやはり天守からの眺めです。

感想はここまでに全部終わります。しかし、楽しい思い出はずっと響き続けています。

劉 功平 さん
関西学院大学
商学研究科1年生
出身国:中国
劉 功平さん

心が癒される旅

2012年9月3日、待ち望んだ1泊2日の公益財団法人西村奨学財団の研修旅行がやっとやってきた。旅行先は滋賀県で、一日目は近江八幡水郷めぐりと布引焼陶芸体験を満喫し、翌日は彦根城および佐川美術館を見学する。なお、ホテルは琵琶湖畔にある長浜ロイヤルホテルである。

今年は参加人員が昨年より多いため、二階建ての観光バスに乗ることになった。移動途中でもすばらしい景色を見渡すことができる。さらに、少し雲のかかったいい天気に恵まれ、万歳、万歳と心の中で喜びの声を叫んでいた。

私たちは最初の目的地-近江八幡に到着したのは11時頃だった。よく時代劇の撮影現場として使われ、茂った木々が両側に植えられている八幡掘を渡り、のんびりと新町通りを歩いた。近江八幡は近江商人の発祥の地で、その町並みが碁盤のように配置されているそうだ。わたくしが商学を専攻している故、少しでもその商売の知恵をもらおうと思い、古き西川家の屋敷が左側に、近江セールズ株式会社の創業者ヴォーリズ像を後ろに記念写真を撮った。

八幡町の観光を終え、少し離れた水郷船の乗り場にほぼ11時半頃に着いた。人数が多かったので、5班に分かれた。私は3番目の船に乗り、約50分別世界に入ることができた。一緒に乗った他の9人と同じく、最初の10分間、興奮の気持ちを抑えがたく大騒ぎをした。狭い水路の両側にびっしりと群生している芦草がそよ風とともに私たちの訪れを歓迎してくれた。都市の忙しさを忘れ、また普段の煩わしい事柄を忘れ、ただ大地の母が自分をギュッと抱きしめている感覚だった。そして船が進むとともに、水路がだんだん広がってきた。しばらくして、向こうの岸に立っている扇子の形の木が見えてきた。思わず威厳ある侍に連想した、また、風が吹くと、今度は優雅な姫を連想してしまった。不思議な木だなあと感嘆している間に、船は悠々と左に曲がり、琵琶湖の景色が目の前に現れた。静かな湖面が日差しを受けてきらきらしていた。だんだん水郷巡りの終わりに近づくと、皆が静かになり、ずっと流れていた滋賀県の歌に気付くようになった。深い感銘を受けた乗船旅だった。

全員が船乗り場戻って、記念写真の撮影を済ませた後、昼食の店へと出発した。昼食は具がいっぱい詰まった海鮮弁当であった。その3分の2を食べたらもうおなかがいっぱいになったが、美味しいのでご飯も一粒残らずに食べた。

次の観光地-布引焼陶芸工房へ向かう途中、車内を見渡すと多くの人は眠気に負けて眠っていた。私もおいしい昼ごはんを食べすぎたので、瞼が重くなったが、ふと外を眺めると、金色の稲作の田んぼと緑色の枝豆の田んぼとが相まって美しい景色に心をひきつけられた。

陶芸工房に着いたのは午後2時ごろだった。出迎えてくださった方は白髪ながらとても生き生きとした方で、顔料天然染めした服を着ていた。親切で接近しやすい方だと思った。彼は日本で著名な陶芸家小嶋太郎氏だった。1970年の大阪万国博のシンボル“太陽の塔”の「過去の顔」のレリーフ(陶板製)を岡本太郎氏と共同制作した。それをきっかけに、「七彩天目」と呼ばれる釉薬を使った技法を開発した。当時、工房に隣接している天神の森にふくろうが棲んでいた。ふくろうという言葉は、福がこもるという縁起のいい響きから、それを作ろうと決めたそうだ。

いよいよ皆の出番となった。工房の方の説明にしたがい、まず、好きな絵を選び、次に、粘土板に絵をのせて、優しく絵を写して枠沿いに切り離し、それから、カップに切り離した粘土板を貼り付けてから絵がくっきり見えるように描きなおす。最後は、個性を出すためにそれぞれ自分で工夫を考える。皆はとても真剣な顔で自分の作品に集中していた。私は自分にとって大切な人を思って作っていたので、焼きあがりの作品を楽しみに待っている。工房を出た時、小島太郎氏は皆に自分の名刺を渡し、丁寧に別れの挨拶をし、知恵ふくろうのお土産までくださった。

ありがとう、優しい小島さん!

滋賀県と岐阜県の県境にある伊吹山を経過し、長浜ロイヤルホテルに到着した。

ホテルと呼ばれているが、嬉しいことに大浴場も備えていると聞いた。部屋に入ってみると、ゆったりした空間と窓からの琵琶湖の美しい眺めが最高だった。私は荷物を開けてすぐに大浴場へ行った。そこで、福島から来た伯母さんと会って観光の話で盛り上がった。今の領土問題で日中関係の話にまで触れた。別れ際に彼女は"人は違っても、心は通じる。仲良くしようね。"といった。その言葉に共鳴した。ありがとう、優しい福島の伯母さん!

私は浴衣で夕食パーティに出た。顧問の小川さんに乾杯の音頭を執っていただき、食事会を始めた。笑い声が絶えなく他のテーブルから聞こえてきた。私が座っていたテーブルも賑やかだった。皆は自分の専門の研究や趣味から世界平和まで歓談し、滋賀の地酒に懐石料理を味わい最高だった。約1時間ほどした後に、去年のカラオケチャンピオンの大阪大学の李さんがはじめの一曲を歌って、カラオケ大会が正式に始まった。独唱や合唱、歌いながらダンス、など皆で会場を賑わせ、とても楽しい時間を過ごした。

あくる朝は早く起きて、静かな琵琶湖の傍を散歩した。少女のように淑やかな琵琶湖を見つめ、ふっと昨日ガイドの新谷さんから聞いた話を思い出した。昔、琵琶湖にお水という娘が住んでいた。琵琶湖畔を通りかかった修業中の僧に一目惚れしたが、思うままに行かなかったため、恨みが残り、毎年春の2月~3月には強い風で湖面が荒れるという話だ。お水の愛に対する執念に敬意を払う。

我に返って、急いでホテルに戻り2階のレストランで朝ごはんを済ませた

9時に彦根城に向けて出発した。彦根城は1992年に日本の世界遺産暫定リストにも登録されている。国宝の天守、附櫓(つけやぐら)および多聞櫓(たもんやぐら)のほか、安土桃山時代から江戸時代の櫓・門など5棟が現存し、国の重要文化財に指定され、中でも馬屋は重要文化財指定物件として全国的にも稀少だそうだ。

現地に着くと、3班に分かれ、各班に彦根城のガイドの方が付いて下さった。城内は敷地からしっかり管理されていると感じた。受付を抜けると風情のある石段を登り始めた。天守に着くのには時間がかかったが、途中ガイドさんから城壁の石の積み方や攻城の防御施設およびその操作の仕方など解説を面白く聞くことができた。天守にたどり着き、用心深く62斜度もある階段を上がり下りした。階段というより梯子と呼ばれるべきと思った。曲がった木が巧妙に繋がっている天井も天守の大きな見どころの一つだ。私の目からみれば、これは古代の先輩たちの知恵の結晶で偉大なる芸術品だが、実はこれは奇麗に見えるように設計したためではなく地震によく耐える仕組みを作るためだとガイドさんの説明から分かった。

天守から出て、城の北側の玄宮園の周りを散策したが、和風に満ちているこの庭園を背景に記念写真を撮るのに忙しかった。玄宮園から天守を望んで、一瞬すべての悩みを忘れ、この素晴らしい風景だけが目に心に停まった。

昼食は有名な近江牛のすきやきだった。さすが近江牛、超美味だった。食事後、奨学生の大勢の人は熱心にレストランに隣接している店でお土産を選んでいた。

そのあと、午後1時半頃佐川美術館を訪ねた。9月に入ったが、まだ残暑が厳しく、この時間になると、とても暑くなってきた。美術館に入った瞬間、すっと涼しくなり、心が静まった。まずは、「平和の祈り」と名付けられた平山郁夫館で仏教伝来と東西交流の道を主たるテーマとした作品を鑑賞した。平山先生の絵は彼が「一枚でも平和を祈る作品を描かなければならない」と言い続けたとおり、一点一点その平和のメッセージが私たちの心まで伝わって来る。さらに中へ進むと、「ブロンズの詩」と名付けられた佐藤忠良館となる。生活の実像を連想しやすい平凡な題材を用いた優秀な作品が多数ある。アートというものは普通の生活と無関係と思いこんでいた私は、今日を持って、アートもこのように平凡な人の日常生活から生まれることを改めて認知することができた。最後に樂吉左衞門館を観た。佐川美術館のHPによると、この館は樂吉左衞先生ご自身が設計創案・監修され、水庭に埋設された地下展示室と、水庭に浮かぶように建設された茶室の2つで構成されていることが非常に珍しい。確かに、その美術館自体が巨大な芸術品となっていると思うほかない。

参加した皆さんにとってこの旅は収穫満載の旅になっただろう。1泊2日間の旅があっという間に終わったと感じた。この旅は、奨学生間での友情が深まりながら、水郷めぐりで美しい自然に抱擁されたこと、陶芸工房やホテルの大浴場で優しい日本人と出会ったこと、立派な彦根城と優美な庭園を鑑賞できたこと、佐川美術館で日本の芸術に認識を深めたこと等々、本当にたのしいメモリをいっぱいつくることができ、心の深くまで癒してくれた素晴らしい旅だった。